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田園調布と調布は違うのです

田舎者なので、田園調布は調布市にあると思っていた(汗

 

そもそも「調布」という言葉は、こういう意味。

 デジタル大辞泉の解説

  •  ちょう‐ふ 〔テウ‐〕 【調布】

     1 租税の一つとして官に納める手織りの麻布。つきぬの。たづくり。
     2 粗末衣服。「身には―の帷(かたびら)濯ぎけむ世も知らず朽ちたる」〈今昔・一五・一五〉
     3 小麦粉卵黄などを用いて薄く焼いた皮で求肥(ぎゅうひ)を包んだ菓子

 

で、租税関係で「調布」という地名はたくさんあった。

”多摩川沿いでは奈良時代頃に布を調(税としての特産物)として納めており、これに由来する調布という地名が散見する。”(Wikipedia

 

 

Wikipedia先生によると、田園調布の由来はこういうことらしい。

 地名「田園調布」の起こり

  • この地は古くには上沼部村と下沼部村とがあって、1889年(明治22年)にこれらに鵜の木村と峰村とを合わせた4村が合併して「調布村」になった地域である。
  • 住宅地としての「田園調布」の起源は1923年(大正12年)に田園都市会社が「田園都市多摩川台」として分譲を始めたことにある。 その分譲地は多くが調布村に属し、一部が玉川村に属していた。
  • 同じ1923年に目蒲線が開通し、「調布駅」が開業した。 駅名はここが「調布村」村内であったことによる。
  • 1926年(大正15年)1月に上記駅名に「田園」が冠され、「田園調布駅」となった。 これは東急電鉄によれば「田園都市づくりから」となっている。 この時点での分譲地の一般呼称は「調布田園都市」であり、その年の5月に創立した町内会組織「田園調布会」でも規約第1条に「本会は田園調布会と称し、調布田園都市地域内の居住者をもって組織す。」とあった。 しかし、駅名「田園調布」が次第に地域名としても用いられるようになり、それも当初は田園都市会社が分譲した地域(現在の大田区田園調布二丁目の一部・三丁目、四丁目の一部、世田谷区玉川田園調布一丁目・二丁目にあたる地域)を指したが、次第に隣接する下沼部一帯を合わせて「田園調布」と呼ぶようになった。
  • 1928年(昭和3年) 調布村に町制が敷かれ、「東調布町」となった。
  • 1932年(昭和7年) 東京市へ編入、田園調布の東調布町町内域は上沼部を合わせて大森区田園調布一丁目~四丁目となった。 また玉川村村内域は、住民は田園都市の一体性を理由に大森区への編入を望んだが叶わず、世田谷区玉川田園調布となった。 ここに初めて行政区画としての地名「田園調布」が誕生した。 それ以後の町名の変遷は歴史節を参照

 

ちなみに記事を読み進めていくと、こういう記述も。

 治安田園調布一帯は治安が非常に悪く警察の自転車巡回が多い。

えー、治安良さそうなイメージなんだけどな。意外。

 

Wikipediaのページには、在住有名人のリストもある。

興味のある方は、リンク先でご確認を。